2話:遭遇
朝、比較的こじんまりとした宿の食堂には、当たり前ながら人が多かった。
宿を一手に引き受けている女将の手作りである朝食は、質素な物だが美味しく、三人は久しく忘れていた家庭料理をの味を思い出していた。
食べ終わった食器をテーブルの端に避けて地図を広げて、三人は今後の相談をしていた。
シエルがペンを片手に地図の中に印をつけるのを見て、ソレイユは訝しげに、
「……古代遺跡?この街にあるのか?」
「ああ。何でもその周辺で魔物が増加してるらしいんだけど、俺は一度行ってみたい」
昨日警邏支部で聞いた話をソレイユに伝え、シエルは二人に確認をとった。
二人も顔を見合わせ、
「いいわよ、別にあたしたち急ぐわけでもないし、他に目的もないし」
「ああ。イオが到着したら、相談してみよう」
「サンキュ。パーシスタント教師が掘り返した後だから、めぼしい物は残ってねえかもしれねーけど……もしかしたら、あそこは調べてないかもしれない」
「……あそこ?」
訝し気に問いかけたソレイユに、シエルはちらりと辺りを伺って自分達に注意を向けている人間がいない事を悟ると、二人に向かって小声で言った。
「これはレテしか知らない事だけど……古代遺跡には必ず一つは、隠された部屋ってのが存在する。それは、俺がいないと開かない仕組みになってるんだ」
「ナルホド。調べてみる価値はあるわね」
ミルクをたっぷり入れた紅茶を楽しみながら、ルーチェが頷いた。
大まかに決まった所で、シエルは飲み干した紅茶のカップをソーサーに戻して、立ち上がった。
「さて、じゃあそろそろ行くかな。魔宝石買った後は情報収集でもしておく」
「そうだな、僕らの修理もそう時間はかからないだろうし、その後は出来るだけ仕入れておくよ」
「ああ。じゃーな」
丁度出て来た女将に美味しかったと伝え、シエルは先に宿を出た。
魔宝石や他の魔具を扱う店は、大抵が大通りではなくそこから少し中に入った所にある。
何故なら、店で扱われているものは全てが合法なものではなく、魔力を宿す力が強ければ、例え曰く付きの物も高値で取り引きされる場所だからだ。
魔法使い、と一括りに呼ばれるが、その中には、実戦に使う魔法を得意とし、研究する者と、呪いや結界、操作を得意とする者がいる。
シエルは基本的に前者であり、使える魔法のレパートリーは普通の学生に比べれば多い物の、呪いや操作の類いは基礎程度にしか扱えない。
後者を得意とする者は大抵裏世界で生きる者達であり、効果の強い呪や結界が作れるのなら、法的に禁止されている物でも大枚を叩いて手に入れる。
それらを使い、そしてまた禁じられた呪文を用いて効果を発動させる技を、禁術と呼ぶ。禁術には多くの種類があるが、一番有名なのは人の精神、記憶、行動に強制や制限をかけるものだ。
この禁術を行った者は、学院が統括する魔術師協会によって速やかに捕縛され、裁きを受ける事となる。
(……ま、その学院で堂々と禁術が行われてるんじゃあ、世話ないけどさ……)
そんな事を思いつつ、シエルは目的の場所を見つけて立ち止まった。
「……ここ、か。つくづく怪しいんだよな、魔法具の店って……」
いかにも、といった感じの古い建物の前で、シエルはため息をついた。
くすんだ板切れに『OPEN』と汚い文字で書かれたプレートが唯一店が開いている事を示しているような気がする。
ギィィィ と軋む扉を開けて薄暗い店内に入ると、店内には所狭しと様々な魔法具が並べられていた。
店自体は細長く、そう狭くはないのだが、天井まで達するほどの棚が次々と並べられているため、入り口から奥まで見通す事は出来ない。
奥に進みながら棚を物色していると、不意に金色の細い糸の束を見つけた。否、これは———
「……これ、エルフの髪じゃねーか……?」
それは糸ではなく、強い魔力を封じる事が出来ると言われているエルフの髪だった。
エルフ達が進んで差し出すはずもないので、滅多にお目にかかれる事もないし、当たり前だが法的には禁止されている物である。
エルフと人間は基本的に相互不可侵となってはいるが、同じ地上に住んでいる者達であるため、ごく稀に接触する事もある。
大方その際に奪ったか、親密になった者がこっそり売り払ったか……どちらにしても気分のいいものではない。
「ぁー、気分わりぃ」
「まぁそう言いなさんな」
不意に話し掛けられて振り向くと、そこにはがりがりに痩せた一人の老爺が薄い笑みを浮かべて立っていた。
「あんたも魔法使いの端くれなら解るだろう?魔法使いは、禁術と言われる物程手を出したくなるもんだよ」
「……生憎、俺は今の所禁術には用はねーんだよ」
「それはそれは、幸せな事だ」
ニタリ と笑って、老爺はそのまま店の奥に入って行った。どうやらこの店の店主のようだ。
奥の古びた木のカウンターに腰かけて、老爺は数本しか歯の残っていない口を開いてニィ と笑い、
「で、あんたは何が欲しいんだい?一角獣の角か?不死鳥の羽か?それとも、兎の目か?」
「……それが全部手に入るんなら、あんたは世界を滅ぼせるな」
皮肉気に言うシエルに、老爺はカカカと笑った。一角獣の角、不死鳥の羽、兎の目は、どれも禁術用の魔法具であり、前の二つはそもそも伝説上の物で、最後の一つも抉り取ってから数分としか抗力がない、ある意味使えない物である。
シエルは奥に向かいながら、魔宝石の棚を見つけて立ち止まった。
「そんな違法なモンはいらねーよ。俺が探しに来たのは魔宝石だからな」
「魔宝石は、中に羽虫が閉じ込められてるもんが魔力を強く封じますよ」
「……へぇ?」
棚を見ると、確かにいくつか羽虫が閉じ込められている物があった。だが、値段は倍ほど違う。
「なぁ、もうちょっと安くなんないか?俺学生だから金ねーんだよ」
「馬鹿言っちゃいかん。魔法具ってのは一律高いもんだろう?」
「でも、この石なんか割れてるせいで、魔力含有量は低いだろ?それでもこの値段なのか?」
「……気付かず買う客が馬鹿って事だなぁ」
「……まぁいいけどよ」
ため息をついて、シエルはいくつか魔宝石を選んだ。羽虫が閉じ込められた物も惹かれるが、そう無駄遣いが出来るわけでもない。
出来るだけ色が深く、傷の無い物を選んでいると、店主が「いらっしゃい」と言うのが聞こえた。どうやら他に客が来たらしい。
「なぁ、これ中の結晶少ないから、半額にならねー?」
「年寄りを馬鹿にしちゃいかんよ、そうだな、あんたの目利きに免じて四分の一割だな」
「高ェよ。三分の一だ」
「あのなぁ坊主……」
呆れて息を吐き出す店主に価値を確信し……不意に、背後に人が立っている事に気付いて、振り向いた。
そこに立っていたのは、長い黒髪を後ろで束ねた長身の、年の頃二十代半ば程の男だった。
「随分無茶な値切り方をするね」
「質が悪い物を定価で買うなんてごめんだね」
「それもそうだね」
にっこりと、何処か含んだ笑い方をする男に訝し気な視線を投げつつ、シエルは再び値切り交渉に入ろうとした———その時。
そっと、冷たい指で左耳を触られ、思わず硬直する。まるで、喉元にナイフを突き付けられたかのように、寒気が背中を駆け上がる。
そのまま、吐息が感じられる程に耳もとに唇が近付けられ、囁かれる。
「ピアス、付けてくれてるんだね」
「————っ!?」
ぱんっ と思いきり手を叩き落として、振り向く。が———
「っな……」
そこには、暗い店内と棚が並ぶだけで……男の姿は何処にもなかった。
「んな、馬鹿な……」
「どうしたんだぃ、いきなり振り向いて……」
後ろから店主に話し掛けられ、シエルは慌てて先程まで男が居た場所を指差して、叫んだ。
「なあっ、さっきの男、何処行ったんだ!?」
「男?何言ってんだいあんた、さっきから店にはわしとあんたしかいないよ」
「……はぁっ?今ここに居たじゃねーかっ、黒髪の男が!」
「あんた、あれかい?幻覚持ちかい……?若いのに大変だね」
「……」
老爺の目を見て、シエルは怖気が走るのを感じた。彼は嘘をついてはいない、本当に、彼は誰もいなかったと思っているのだ。見えていなかったわけではない、その証拠に、男が店に入った時店主はいらっしゃいと声をかけている。
だが、まるでそんな事は無かったかのように、店主は訝し気に自分を見ていた。
体温が無いのかと思うほど、冷たい指が耳たぶに触れる感触は思い出しても背筋を冷たい物が走る。そして、何より……
「このピアスを知ってる……?」
男が触れたのは、学院の近くの街で露店のおばさんから受け取った、誰からか解らないシルバーのピアスだ。そして、その時一緒に受け取ったプレートは、ネックレスにして服の下に隠してある。
つまり、あの男が、自分にこのプレートを渡したという事になる。
シエルは、店主の前にきっちり結晶が少ない分は三分の一にした金を置いて、店を飛び出した。
「ほぉう、こりゃあいい剣だな。研ぎ甲斐があるってもんだ」
抜き身の剣を受け取り、鍛冶屋の主人はひげ面の顔でにんまりと笑った。
諸刃のその剣は、柄頭にシンプルだが精緻な紋様が施されている。持ち主であるソレイユも詳しい事は知らないが、太陽を模した図形で、代々アンドレイヤー家に受け継がれる紋章だと聞いている。
「その模様を傷つけないように頼む。気に入っているんだ」
「おうよ、こんな綺麗なもん傷つけちゃあオレも鍛冶屋の看板下ろさないといけねーからなぁ」
まかしとけ、とばかりに拳を握って剣を鞘にしまいそっとわきに置いてから、ルーチェの方に向き直ってから、
「そっちのお嬢ちゃんは何を手入れすればいいんだい?」
「あたしは弓なんだけど———」
ルーチェはいつも使っている弓をカウンターに置いてから、
「弦はまだ使えるかな?出来れば替えたくないの」
「ちょっと待ってみな……んん?これは……」
何度か指で弦を弾いて、男は眉根を寄せて弦を凝視した。薄い金色のその弦は、よく見れば細い糸が何本も集めてられて作られている。
「おいおい、こりゃあエルフの髪じゃないのか?」
「そうなの。だから、替えたくないなーって……」
「とんでもない、エルフの髪は魔力がこもってるからなぁ、そう簡単には切れやしないよ。いやあおったまげたな、実物を見たのは初めてだ……何処でこんな……」
「えへへ、ちょっとね」
はにかむように笑ったルーチェを見て、男はそれ以上詮索しようとはせずに「まかせときな」と弓を受け取った。
その弓も丁寧に置いて、男はにかっと笑い、
「夕方までには仕上げとくから、その頃にまた取りにこいや」
「お願いします」
頭を下げて武器を預け、ソレイユとルーチェは鍛冶屋を出た。
得にする事もないため、街をぶらぶらと歩きながら、ふとソレイユが問いかけた。
「あの弓の弦って、ルーチェの母親の?」
「あ、うんそう。お父さんにお母さんが渡したものらしいの。それをずっと使ってるんだけどね……何でも、エルフの髪ってのは凄い魔力を秘めれるらしいの」
「へぇ……そこらへんはシエルの分野だな」
「そーね、あたしも実はよく分かってないんだけど。お母さんに繋がる物だから、大事にしたくて」
「でも、大丈夫だったのか?そんな高価な物を預けて来て……。考えたくはないけど、さっきの主人が勝手に外すって事も……」
「大丈夫よ、そう簡単に外せないようになってるから。少なくとも、魔力もない人間にはね」
成る程、と納得して、ソレイユはふと向かい側にある公園の中にある時計を見て、
「もう昼だな。どうする?宿に戻るか、どこかで食べるか」
「そーね……シエルは戻ってるのかな?」
「買い物にそう時間はかからないと思うけど……ん?」
不意に言葉を切って、ソレイユは立ち止まって通りの奥を凝視する。そんな彼にルーチェは眉をひそめて、
「どうしたの?」
「いや……今向こうの通りを、シエルっぽい奴が走ってったような……」
「シエル?何あいつ今度は万引きでもして追っかけられてるの!?」
「何でそうなる。追い掛けられてるって感じじゃなかったけど……。追ってみるか?」
ソレイユの問いに頷いて、二人は向こうの通りまで駆け出す。左の通りからそのまま右へ直進して行ったシエルの姿は、当たり前だがもうない。
表通りからは少し外れたその通りは薄暗く、人通りもあまりない。ルーチェは、とりあえず道端で何やら怪しい雑貨品のような物を売っている男に話し掛けた。
「ね、今ここを茶色い髪の男の子が走ってったでしょ?何処行ったか見てた?」
「あぁ?そうだなぁ……」
無精髭の生えた顎を摩りながら、男はニヤリと笑い、
「何か買ってくれるか、今晩ねえちゃんがオレに付き合うのが条件だな?」
「生憎こっちは急いでるんだ。知らないのならいい」
ふい と顔を背けて走り出そうとしたソレイユを、男は慌てて引き止め、
「見た見た、そいつなら見たぜ?茶色い髪に赤目の変わった坊主だろ?オレぁ昔っから動態視力はいいんだよ」
その言葉に、ルーチェは並べられた商品から一つのブレスレットを選んで硬貨を転がし、
「じゃ、これ買うから教えて。そいつ、何処行った?」
「何だぁあいつを追ってるのか?どうりで切羽詰まった顔してたわけだぜ。その坊主ならここを真直ぐ行って左に曲がってったよ」
「サンキュ」
そう言って二人は再び走り出した。言われた通りに左に曲がり、当てもないため速度を緩めた。
先程買ったビーズのブレスレットを腕にはめながら、ルーチェがぽつりと言う。
「切羽詰まってたって……また何かあったのかしら?」
「何もなきゃあいつがこんな所走り回ったりしないだろう……でも、これじゃあ探しようがないな……」
ソレイユの言う通り、ここから先は完璧な裏路地で、分かれ道も無数に存在する。その上人の数は減るため、聞く事も出来ない。
もし厄介な輩にでも目をつけられたら、得にルーチェがいるため面倒な事になる。
「どうしよ、放っとけないし……。シエルが突っ走るなんてただ事じゃないよね」
「普通ならそう熱くならないタチだからな……とりあえず少し探して————」
そう言いながらソレイユが建物の角を右に曲がった時、通りの向こうにふわり と、茶色の髪が揺れるのを見た。
「っシエル!?」
「————ソレイユ?」
今まさに路地を曲がろうとしたいた足を止め、シエルが振り返る。その顔は先程の男が言っていた通り何かに酷く焦っているように見えた。
二人を見て驚いた表情のままのシエルの前まで駆け寄ると、ぽかんとした顔つきのまま、
「どうして———」
「それはこっちのセリフだ。さっき歩いてたら走って行くお前が見えたから……」
「どうしたのよそんなに慌てて。何かあったの?」
問いかけられ、シエルは少し逡巡した後目を伏せ、首を振った。
「いや、ちょっと気になる事があっただけだ」
「気になる事?」
「ああ……でも多分勘違いだから、気にすんな。それより武器は預けて来たのかよ?」
「うん。夕方にもう一度取りに行くわ」
「そっか。俺の用もあらかた終わったし、メシでも食いに行こうぜ」
そう言ってさっさと大通りに向かって歩き出すシエルに、ソレイユとルーチェは眉をひそめた。
だが、聞き出しても仕方が無いと踏んで、それ以上は聞かず、そのまま大通りに出た。
昼近くなった通りは主婦層の人間で賑わい、出店も多く出されて観光客や学生などに簡単なサンドウィッチやドーナツなどを売っている。
三人はしばらく歩いた後適当な店でサンドウィッチと飲み物を買い、ソレイユが時間を確認した公園のベンチに腰かけていた。
公園にはそれなりに人がおり、得に子供達は元気よく遊んでいる。
そんな様子を何の気なしに眺めていると、不意にソレイユに問いかけられた。
「シエル、さっきは結局何をしていたんだ?はぐらかすのもいいけど、重要な事は隠すなよ」
有無を言わさぬ視線を向けられ、シエルは諦めたようにため息をついた。そして、服の下に隠してあったプレートのついたネックレスを引っぱり出す。
「……それ、街でお前が貰った物じゃないか?そういえば、お前の様子がおかしくなった……」
「ああ。ここに刻まれた紋様は古代種族を現す物なんだ……だから、こんな物を持ってるなんて本当なら、有り得ない」
「遺跡とかから出土したって可能性はないのか?」
「あるだろうな。でも、それなら何で俺に渡したんだ?」
シエルの言葉に、ソレイユもルーチェも息を飲んだ。シエルにそれを渡す、イコールそれは、彼が古代種族だという事を知っている、と言っているも同然ではないか?
二人の動揺にシエルは無言で頷いて、それを再び服の中に戻した。そして、先程魔法具の店であった事を、ぽつりぽつりと話す。
大方を聞き終わった二人は、シエルが街を走り回っていた理由を理解した。
「……つまり、そいつがお前にそれを渡した奴だと……?」
「そうとしか考えられないだろ。それに多分、人間じゃない……人の記憶を瞬時にいじるなんて、そう簡単に出来るもんじゃない」
「それで、消えたそいつを探してたのね……。そいつ、あのヴィオラって魔族とかの仲間かしら……」
「わかんね。こっちにどんどん謎を突き付けて来るくせに、向こうの手の内は一切見せやがらねえ。
遊んでやがるんだ、俺で……。得にあいつは、普通じゃない……」
奥歯を噛み締めて、シエルは呻いた。あの時の怖気のする感覚はそう忘れられない。
「……参考までに聞いていいか?その黒髪の男に何された?」
「……耳元で囁かれた」
ずざざっ とルーチェが後ずさる。ソレイユもこめかみを押さえ、ため息をついた。
「……それは確かにマトモじゃないな。御愁傷様、シエル」
「あーくそ、話してるうちに腹が立って来た。ふざけんじゃねーぞ……面と向かって堂々と来やがれってんだ」
シエルは毒づいて、買ったサンドウィッチの包みを近くのゴミ箱に乱暴に投げ入れた。
後ずさったままのルーチェもなんとか復活して、ソレイユの肩をぽんと叩き、
「あたし達でシエルの貞操を守ってあげないとね」
「……確かに」
「オイコラ待て。何で俺が———ん?」
不意に言葉を切って、シエルは公園の入り口の方に視線をやる。そこには、珍しい紺青の髪が目を引く少女がいた。
「———イオ?」
「ほんとだ、イオー!」
ルーチェが手を振ると、少女はにこりと笑って手を振り、ゆっくりとした足取りでこちらに近付いて来た。
「見つけられてよかった。広い街だから探し損になるんじゃないかと思ってたんだ」
目鼻立ちのはっきりしたその少女は、先日村で別れて学院に行き、そのままこの街に向かったのならかなりの強行軍だが、その疲れも見せずに立っていた。
「よく見つけられたねー?」
「一度宿に行ったんだけど、三人とも出てるって聞いてうろうろしてたんだ」
「元気そうだな。結構強行軍だろ?ここまで来るのに」
「馬車を使ったからね、まぁ旅には慣れてるし。何たってダルバーンからここまで来たんだし」
そう言ってから、イオはそのダークオレンジの瞳を少しだけ細めて、
「レテからの連絡はもらってるみたいだね、アタシが来ても驚かないって事は」
「昨日聞いたわ。シエルに用があるんだってね」
「ええ……」
「……積もる話もあるんだろうし、宿に戻るか?もう用はすんだし、武器を受け取りに行くのは夕方だし」
「そーだな。宿で聞かせてもらうぜ……何故、古代種族の謎が必要なのか、をな?」
何処か皮肉げな表情で言うシエルの言葉にイオは無言で頷き、四人は宿に向かって歩き始めた。
宿を一手に引き受けている女将の手作りである朝食は、質素な物だが美味しく、三人は久しく忘れていた家庭料理をの味を思い出していた。
食べ終わった食器をテーブルの端に避けて地図を広げて、三人は今後の相談をしていた。
シエルがペンを片手に地図の中に印をつけるのを見て、ソレイユは訝しげに、
「……古代遺跡?この街にあるのか?」
「ああ。何でもその周辺で魔物が増加してるらしいんだけど、俺は一度行ってみたい」
昨日警邏支部で聞いた話をソレイユに伝え、シエルは二人に確認をとった。
二人も顔を見合わせ、
「いいわよ、別にあたしたち急ぐわけでもないし、他に目的もないし」
「ああ。イオが到着したら、相談してみよう」
「サンキュ。パーシスタント教師が掘り返した後だから、めぼしい物は残ってねえかもしれねーけど……もしかしたら、あそこは調べてないかもしれない」
「……あそこ?」
訝し気に問いかけたソレイユに、シエルはちらりと辺りを伺って自分達に注意を向けている人間がいない事を悟ると、二人に向かって小声で言った。
「これはレテしか知らない事だけど……古代遺跡には必ず一つは、隠された部屋ってのが存在する。それは、俺がいないと開かない仕組みになってるんだ」
「ナルホド。調べてみる価値はあるわね」
ミルクをたっぷり入れた紅茶を楽しみながら、ルーチェが頷いた。
大まかに決まった所で、シエルは飲み干した紅茶のカップをソーサーに戻して、立ち上がった。
「さて、じゃあそろそろ行くかな。魔宝石買った後は情報収集でもしておく」
「そうだな、僕らの修理もそう時間はかからないだろうし、その後は出来るだけ仕入れておくよ」
「ああ。じゃーな」
丁度出て来た女将に美味しかったと伝え、シエルは先に宿を出た。
魔宝石や他の魔具を扱う店は、大抵が大通りではなくそこから少し中に入った所にある。
何故なら、店で扱われているものは全てが合法なものではなく、魔力を宿す力が強ければ、例え曰く付きの物も高値で取り引きされる場所だからだ。
魔法使い、と一括りに呼ばれるが、その中には、実戦に使う魔法を得意とし、研究する者と、呪いや結界、操作を得意とする者がいる。
シエルは基本的に前者であり、使える魔法のレパートリーは普通の学生に比べれば多い物の、呪いや操作の類いは基礎程度にしか扱えない。
後者を得意とする者は大抵裏世界で生きる者達であり、効果の強い呪や結界が作れるのなら、法的に禁止されている物でも大枚を叩いて手に入れる。
それらを使い、そしてまた禁じられた呪文を用いて効果を発動させる技を、禁術と呼ぶ。禁術には多くの種類があるが、一番有名なのは人の精神、記憶、行動に強制や制限をかけるものだ。
この禁術を行った者は、学院が統括する魔術師協会によって速やかに捕縛され、裁きを受ける事となる。
(……ま、その学院で堂々と禁術が行われてるんじゃあ、世話ないけどさ……)
そんな事を思いつつ、シエルは目的の場所を見つけて立ち止まった。
「……ここ、か。つくづく怪しいんだよな、魔法具の店って……」
いかにも、といった感じの古い建物の前で、シエルはため息をついた。
くすんだ板切れに『OPEN』と汚い文字で書かれたプレートが唯一店が開いている事を示しているような気がする。
ギィィィ と軋む扉を開けて薄暗い店内に入ると、店内には所狭しと様々な魔法具が並べられていた。
店自体は細長く、そう狭くはないのだが、天井まで達するほどの棚が次々と並べられているため、入り口から奥まで見通す事は出来ない。
奥に進みながら棚を物色していると、不意に金色の細い糸の束を見つけた。否、これは———
「……これ、エルフの髪じゃねーか……?」
それは糸ではなく、強い魔力を封じる事が出来ると言われているエルフの髪だった。
エルフ達が進んで差し出すはずもないので、滅多にお目にかかれる事もないし、当たり前だが法的には禁止されている物である。
エルフと人間は基本的に相互不可侵となってはいるが、同じ地上に住んでいる者達であるため、ごく稀に接触する事もある。
大方その際に奪ったか、親密になった者がこっそり売り払ったか……どちらにしても気分のいいものではない。
「ぁー、気分わりぃ」
「まぁそう言いなさんな」
不意に話し掛けられて振り向くと、そこにはがりがりに痩せた一人の老爺が薄い笑みを浮かべて立っていた。
「あんたも魔法使いの端くれなら解るだろう?魔法使いは、禁術と言われる物程手を出したくなるもんだよ」
「……生憎、俺は今の所禁術には用はねーんだよ」
「それはそれは、幸せな事だ」
ニタリ と笑って、老爺はそのまま店の奥に入って行った。どうやらこの店の店主のようだ。
奥の古びた木のカウンターに腰かけて、老爺は数本しか歯の残っていない口を開いてニィ と笑い、
「で、あんたは何が欲しいんだい?一角獣の角か?不死鳥の羽か?それとも、兎の目か?」
「……それが全部手に入るんなら、あんたは世界を滅ぼせるな」
皮肉気に言うシエルに、老爺はカカカと笑った。一角獣の角、不死鳥の羽、兎の目は、どれも禁術用の魔法具であり、前の二つはそもそも伝説上の物で、最後の一つも抉り取ってから数分としか抗力がない、ある意味使えない物である。
シエルは奥に向かいながら、魔宝石の棚を見つけて立ち止まった。
「そんな違法なモンはいらねーよ。俺が探しに来たのは魔宝石だからな」
「魔宝石は、中に羽虫が閉じ込められてるもんが魔力を強く封じますよ」
「……へぇ?」
棚を見ると、確かにいくつか羽虫が閉じ込められている物があった。だが、値段は倍ほど違う。
「なぁ、もうちょっと安くなんないか?俺学生だから金ねーんだよ」
「馬鹿言っちゃいかん。魔法具ってのは一律高いもんだろう?」
「でも、この石なんか割れてるせいで、魔力含有量は低いだろ?それでもこの値段なのか?」
「……気付かず買う客が馬鹿って事だなぁ」
「……まぁいいけどよ」
ため息をついて、シエルはいくつか魔宝石を選んだ。羽虫が閉じ込められた物も惹かれるが、そう無駄遣いが出来るわけでもない。
出来るだけ色が深く、傷の無い物を選んでいると、店主が「いらっしゃい」と言うのが聞こえた。どうやら他に客が来たらしい。
「なぁ、これ中の結晶少ないから、半額にならねー?」
「年寄りを馬鹿にしちゃいかんよ、そうだな、あんたの目利きに免じて四分の一割だな」
「高ェよ。三分の一だ」
「あのなぁ坊主……」
呆れて息を吐き出す店主に価値を確信し……不意に、背後に人が立っている事に気付いて、振り向いた。
そこに立っていたのは、長い黒髪を後ろで束ねた長身の、年の頃二十代半ば程の男だった。
「随分無茶な値切り方をするね」
「質が悪い物を定価で買うなんてごめんだね」
「それもそうだね」
にっこりと、何処か含んだ笑い方をする男に訝し気な視線を投げつつ、シエルは再び値切り交渉に入ろうとした———その時。
そっと、冷たい指で左耳を触られ、思わず硬直する。まるで、喉元にナイフを突き付けられたかのように、寒気が背中を駆け上がる。
そのまま、吐息が感じられる程に耳もとに唇が近付けられ、囁かれる。
「ピアス、付けてくれてるんだね」
「————っ!?」
ぱんっ と思いきり手を叩き落として、振り向く。が———
「っな……」
そこには、暗い店内と棚が並ぶだけで……男の姿は何処にもなかった。
「んな、馬鹿な……」
「どうしたんだぃ、いきなり振り向いて……」
後ろから店主に話し掛けられ、シエルは慌てて先程まで男が居た場所を指差して、叫んだ。
「なあっ、さっきの男、何処行ったんだ!?」
「男?何言ってんだいあんた、さっきから店にはわしとあんたしかいないよ」
「……はぁっ?今ここに居たじゃねーかっ、黒髪の男が!」
「あんた、あれかい?幻覚持ちかい……?若いのに大変だね」
「……」
老爺の目を見て、シエルは怖気が走るのを感じた。彼は嘘をついてはいない、本当に、彼は誰もいなかったと思っているのだ。見えていなかったわけではない、その証拠に、男が店に入った時店主はいらっしゃいと声をかけている。
だが、まるでそんな事は無かったかのように、店主は訝し気に自分を見ていた。
体温が無いのかと思うほど、冷たい指が耳たぶに触れる感触は思い出しても背筋を冷たい物が走る。そして、何より……
「このピアスを知ってる……?」
男が触れたのは、学院の近くの街で露店のおばさんから受け取った、誰からか解らないシルバーのピアスだ。そして、その時一緒に受け取ったプレートは、ネックレスにして服の下に隠してある。
つまり、あの男が、自分にこのプレートを渡したという事になる。
シエルは、店主の前にきっちり結晶が少ない分は三分の一にした金を置いて、店を飛び出した。
「ほぉう、こりゃあいい剣だな。研ぎ甲斐があるってもんだ」
抜き身の剣を受け取り、鍛冶屋の主人はひげ面の顔でにんまりと笑った。
諸刃のその剣は、柄頭にシンプルだが精緻な紋様が施されている。持ち主であるソレイユも詳しい事は知らないが、太陽を模した図形で、代々アンドレイヤー家に受け継がれる紋章だと聞いている。
「その模様を傷つけないように頼む。気に入っているんだ」
「おうよ、こんな綺麗なもん傷つけちゃあオレも鍛冶屋の看板下ろさないといけねーからなぁ」
まかしとけ、とばかりに拳を握って剣を鞘にしまいそっとわきに置いてから、ルーチェの方に向き直ってから、
「そっちのお嬢ちゃんは何を手入れすればいいんだい?」
「あたしは弓なんだけど———」
ルーチェはいつも使っている弓をカウンターに置いてから、
「弦はまだ使えるかな?出来れば替えたくないの」
「ちょっと待ってみな……んん?これは……」
何度か指で弦を弾いて、男は眉根を寄せて弦を凝視した。薄い金色のその弦は、よく見れば細い糸が何本も集めてられて作られている。
「おいおい、こりゃあエルフの髪じゃないのか?」
「そうなの。だから、替えたくないなーって……」
「とんでもない、エルフの髪は魔力がこもってるからなぁ、そう簡単には切れやしないよ。いやあおったまげたな、実物を見たのは初めてだ……何処でこんな……」
「えへへ、ちょっとね」
はにかむように笑ったルーチェを見て、男はそれ以上詮索しようとはせずに「まかせときな」と弓を受け取った。
その弓も丁寧に置いて、男はにかっと笑い、
「夕方までには仕上げとくから、その頃にまた取りにこいや」
「お願いします」
頭を下げて武器を預け、ソレイユとルーチェは鍛冶屋を出た。
得にする事もないため、街をぶらぶらと歩きながら、ふとソレイユが問いかけた。
「あの弓の弦って、ルーチェの母親の?」
「あ、うんそう。お父さんにお母さんが渡したものらしいの。それをずっと使ってるんだけどね……何でも、エルフの髪ってのは凄い魔力を秘めれるらしいの」
「へぇ……そこらへんはシエルの分野だな」
「そーね、あたしも実はよく分かってないんだけど。お母さんに繋がる物だから、大事にしたくて」
「でも、大丈夫だったのか?そんな高価な物を預けて来て……。考えたくはないけど、さっきの主人が勝手に外すって事も……」
「大丈夫よ、そう簡単に外せないようになってるから。少なくとも、魔力もない人間にはね」
成る程、と納得して、ソレイユはふと向かい側にある公園の中にある時計を見て、
「もう昼だな。どうする?宿に戻るか、どこかで食べるか」
「そーね……シエルは戻ってるのかな?」
「買い物にそう時間はかからないと思うけど……ん?」
不意に言葉を切って、ソレイユは立ち止まって通りの奥を凝視する。そんな彼にルーチェは眉をひそめて、
「どうしたの?」
「いや……今向こうの通りを、シエルっぽい奴が走ってったような……」
「シエル?何あいつ今度は万引きでもして追っかけられてるの!?」
「何でそうなる。追い掛けられてるって感じじゃなかったけど……。追ってみるか?」
ソレイユの問いに頷いて、二人は向こうの通りまで駆け出す。左の通りからそのまま右へ直進して行ったシエルの姿は、当たり前だがもうない。
表通りからは少し外れたその通りは薄暗く、人通りもあまりない。ルーチェは、とりあえず道端で何やら怪しい雑貨品のような物を売っている男に話し掛けた。
「ね、今ここを茶色い髪の男の子が走ってったでしょ?何処行ったか見てた?」
「あぁ?そうだなぁ……」
無精髭の生えた顎を摩りながら、男はニヤリと笑い、
「何か買ってくれるか、今晩ねえちゃんがオレに付き合うのが条件だな?」
「生憎こっちは急いでるんだ。知らないのならいい」
ふい と顔を背けて走り出そうとしたソレイユを、男は慌てて引き止め、
「見た見た、そいつなら見たぜ?茶色い髪に赤目の変わった坊主だろ?オレぁ昔っから動態視力はいいんだよ」
その言葉に、ルーチェは並べられた商品から一つのブレスレットを選んで硬貨を転がし、
「じゃ、これ買うから教えて。そいつ、何処行った?」
「何だぁあいつを追ってるのか?どうりで切羽詰まった顔してたわけだぜ。その坊主ならここを真直ぐ行って左に曲がってったよ」
「サンキュ」
そう言って二人は再び走り出した。言われた通りに左に曲がり、当てもないため速度を緩めた。
先程買ったビーズのブレスレットを腕にはめながら、ルーチェがぽつりと言う。
「切羽詰まってたって……また何かあったのかしら?」
「何もなきゃあいつがこんな所走り回ったりしないだろう……でも、これじゃあ探しようがないな……」
ソレイユの言う通り、ここから先は完璧な裏路地で、分かれ道も無数に存在する。その上人の数は減るため、聞く事も出来ない。
もし厄介な輩にでも目をつけられたら、得にルーチェがいるため面倒な事になる。
「どうしよ、放っとけないし……。シエルが突っ走るなんてただ事じゃないよね」
「普通ならそう熱くならないタチだからな……とりあえず少し探して————」
そう言いながらソレイユが建物の角を右に曲がった時、通りの向こうにふわり と、茶色の髪が揺れるのを見た。
「っシエル!?」
「————ソレイユ?」
今まさに路地を曲がろうとしたいた足を止め、シエルが振り返る。その顔は先程の男が言っていた通り何かに酷く焦っているように見えた。
二人を見て驚いた表情のままのシエルの前まで駆け寄ると、ぽかんとした顔つきのまま、
「どうして———」
「それはこっちのセリフだ。さっき歩いてたら走って行くお前が見えたから……」
「どうしたのよそんなに慌てて。何かあったの?」
問いかけられ、シエルは少し逡巡した後目を伏せ、首を振った。
「いや、ちょっと気になる事があっただけだ」
「気になる事?」
「ああ……でも多分勘違いだから、気にすんな。それより武器は預けて来たのかよ?」
「うん。夕方にもう一度取りに行くわ」
「そっか。俺の用もあらかた終わったし、メシでも食いに行こうぜ」
そう言ってさっさと大通りに向かって歩き出すシエルに、ソレイユとルーチェは眉をひそめた。
だが、聞き出しても仕方が無いと踏んで、それ以上は聞かず、そのまま大通りに出た。
昼近くなった通りは主婦層の人間で賑わい、出店も多く出されて観光客や学生などに簡単なサンドウィッチやドーナツなどを売っている。
三人はしばらく歩いた後適当な店でサンドウィッチと飲み物を買い、ソレイユが時間を確認した公園のベンチに腰かけていた。
公園にはそれなりに人がおり、得に子供達は元気よく遊んでいる。
そんな様子を何の気なしに眺めていると、不意にソレイユに問いかけられた。
「シエル、さっきは結局何をしていたんだ?はぐらかすのもいいけど、重要な事は隠すなよ」
有無を言わさぬ視線を向けられ、シエルは諦めたようにため息をついた。そして、服の下に隠してあったプレートのついたネックレスを引っぱり出す。
「……それ、街でお前が貰った物じゃないか?そういえば、お前の様子がおかしくなった……」
「ああ。ここに刻まれた紋様は古代種族を現す物なんだ……だから、こんな物を持ってるなんて本当なら、有り得ない」
「遺跡とかから出土したって可能性はないのか?」
「あるだろうな。でも、それなら何で俺に渡したんだ?」
シエルの言葉に、ソレイユもルーチェも息を飲んだ。シエルにそれを渡す、イコールそれは、彼が古代種族だという事を知っている、と言っているも同然ではないか?
二人の動揺にシエルは無言で頷いて、それを再び服の中に戻した。そして、先程魔法具の店であった事を、ぽつりぽつりと話す。
大方を聞き終わった二人は、シエルが街を走り回っていた理由を理解した。
「……つまり、そいつがお前にそれを渡した奴だと……?」
「そうとしか考えられないだろ。それに多分、人間じゃない……人の記憶を瞬時にいじるなんて、そう簡単に出来るもんじゃない」
「それで、消えたそいつを探してたのね……。そいつ、あのヴィオラって魔族とかの仲間かしら……」
「わかんね。こっちにどんどん謎を突き付けて来るくせに、向こうの手の内は一切見せやがらねえ。
遊んでやがるんだ、俺で……。得にあいつは、普通じゃない……」
奥歯を噛み締めて、シエルは呻いた。あの時の怖気のする感覚はそう忘れられない。
「……参考までに聞いていいか?その黒髪の男に何された?」
「……耳元で囁かれた」
ずざざっ とルーチェが後ずさる。ソレイユもこめかみを押さえ、ため息をついた。
「……それは確かにマトモじゃないな。御愁傷様、シエル」
「あーくそ、話してるうちに腹が立って来た。ふざけんじゃねーぞ……面と向かって堂々と来やがれってんだ」
シエルは毒づいて、買ったサンドウィッチの包みを近くのゴミ箱に乱暴に投げ入れた。
後ずさったままのルーチェもなんとか復活して、ソレイユの肩をぽんと叩き、
「あたし達でシエルの貞操を守ってあげないとね」
「……確かに」
「オイコラ待て。何で俺が———ん?」
不意に言葉を切って、シエルは公園の入り口の方に視線をやる。そこには、珍しい紺青の髪が目を引く少女がいた。
「———イオ?」
「ほんとだ、イオー!」
ルーチェが手を振ると、少女はにこりと笑って手を振り、ゆっくりとした足取りでこちらに近付いて来た。
「見つけられてよかった。広い街だから探し損になるんじゃないかと思ってたんだ」
目鼻立ちのはっきりしたその少女は、先日村で別れて学院に行き、そのままこの街に向かったのならかなりの強行軍だが、その疲れも見せずに立っていた。
「よく見つけられたねー?」
「一度宿に行ったんだけど、三人とも出てるって聞いてうろうろしてたんだ」
「元気そうだな。結構強行軍だろ?ここまで来るのに」
「馬車を使ったからね、まぁ旅には慣れてるし。何たってダルバーンからここまで来たんだし」
そう言ってから、イオはそのダークオレンジの瞳を少しだけ細めて、
「レテからの連絡はもらってるみたいだね、アタシが来ても驚かないって事は」
「昨日聞いたわ。シエルに用があるんだってね」
「ええ……」
「……積もる話もあるんだろうし、宿に戻るか?もう用はすんだし、武器を受け取りに行くのは夕方だし」
「そーだな。宿で聞かせてもらうぜ……何故、古代種族の謎が必要なのか、をな?」
何処か皮肉げな表情で言うシエルの言葉にイオは無言で頷き、四人は宿に向かって歩き始めた。
