NAMELESS

novel:夕日影

第四話 貴方達の枷を、解りたいと

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03

「で、どうしてあんな所に居たんですの?」
繁華街から車でESS本部に戻り、ソファとテーブルが置かれた部屋———本来の目的は応接室だろう———での都妃和の第一声に、帝は誤摩化すかのように熱い緑茶を音をたててすする。
臣もまた、手当された手で扱い辛そうにお茶を飲みながら、「ま、だいたいわかるけども」と苦笑し、
「夕姫が、行くって言ったんだよね?まーっさか仕事でもないのに帝がわざわざ来るわけないし」
「うん……ごめんなさい、軽卒だったって反省してる」
しゅん と項垂れる夕姫に、帝は無言で湯飲みを置く。その様子に、驚いた表情で都妃和はほどいた長い髪を梳きながら問う。
「でも、それにしてはよく連れてきましたね。夕姫が“鬼”に関わるの、嫌だったんじゃないんですか?」
「……関わらないに越した事はない。だが、俺の妹であり、お前達と友人である以上、こいつが“鬼”に関わらないという事は不可能だ」
今ここにいる三人の<ESS/エス>の中では、先天的能力者である帝が“鬼”との付き合いが最も長い。
物心ついた頃より“鬼”を見続けてきた帝にとって、“鬼”とは身近な物であり、それを避けて生活することがもはや不可能だということを、20余年の歳月で既に悟っている。
「……だから、仕事場を見せて、夕姫に“鬼”がどういうものか、解らせようとしたってことか?」
「違う。“鬼”ではなく、お前達の姿を見せるために、あそこに夕姫を連れて行った」
「わたしたちの?“鬼”と戦う姿をですか?」
きょとんとした表情で問いかける都妃和に、帝は憮然とした表情で頷いた。
しばらくそのまま黙っていた帝だが———先の説明を促す都妃和の無言の圧力に屈したかのように、言葉を続けた。
「“鬼”の怖さなんて、夕姫は言われなくてもよく解っている。だけど、それと戦う俺達の事は、知らないだろう?
 ———どんな脅威があり、どんな方法で、如何にして“鬼”を滅しているのか、その事実を知る事で、必要のない心配を避けられればと思っただけだ」
「……つまり要約すると、夕姫が解らないが上の心配をしないために、事実を見せておきたかったと?」
「……そうだ。まあ、余計な心配をかけただけかもしれんがな」
ちらりと臣の手を一瞥して言う帝に、臣はぐっと押し黙る。確かに今回の怪我は自分の不手際だが、そう言われてしまうと二の句が継げない。
先ほどからしゅんと俯いたままの夕姫に、臣は都妃和と顔を見合わせて軽く苦笑し、湯飲みを置いて立ち上がり、椅子に腰掛けた夕姫の前にしゃがみ込む。
突然視界に広がった臣の顔に、驚いた夕姫が思わず椅子ごと後ずさるのをくすくすと笑いながら、
「———ありがと、夕姫」
「……へっ??」
「考えてみれば、そうだよな。常に一緒にはいるのに、“鬼”のことなんて説明した事なかったし、帝だって説明しそうにないし。心配にもなるわな」
「え、あ、うん……」
「ま、今日一日見てたなら解るかもしんないけど、おれみたいなのは得に“鬼”に近づくと色々影響を受けやすい。人に憑いた“鬼”の場合、帝や都妃和が怪我する可能性だって高い。でも、だからこそおれたちは“鬼”に対してどう戦うのかを、“鬼”が見えるようになってから、サポーター達に叩き込まれて来てるんだ」
「体の傷は、わかるの。お兄ちゃんが何度も怪我して、病院に担ぎ込まれてるから。でも、臣みたいな感知能力者の人は、“鬼”のダメージを受けた場合どうするの?」
「本部には精神専門の医者もいてね、“鬼”から受けた負の感情を除去する方法が今はいくつもある。だから問題ない」
「———じゃあ、仕事のあと臣が野菜しか食べないのは、そのせい?」
「っ———」
夕姫の問いかけに、笑顔で答えていた臣の顔が凍る。その表情の変化に、夕姫もまたはっ として自分の口を押さえた。
「それは———」
「あっ、えっと、いいの。ごめんなさい、臣が言いたくない事を、聞くつもりじゃなかったの!」
「……あ、いや……。まあ、そのせいも、あるよ」
何処かいびつな表情で微笑む臣に、帝が無表情のまま都妃和に目配せする。それに感づいた都妃和は、「一つ貸しですわよ」とつぶやき、
「夕姫、よろしかったらこれから一緒に夕食にしませんか?」
「えっ?」
「わたし、仕事が終わったら急にお腹がすいてしまいました。美味しいイタリア料理のお店が本部の近くに出来たと累が言っていましたので、行ってみましょう?」
「あっ、うん———」
戸惑いながら頷く夕姫に、都妃和は長い髪をさらりと耳にかけ、夕姫の耳元に唇を寄せ、小声でささやく。
「……そこで、わたしの知っている事なら、話してあげますから……臣の事が大事なら、ここはわたしに付き合って下さいな」
「えっ……!?」
「さ、行きましょうか」
そう言って、都妃和はそっと夕姫の手をとり、身のこなしとは裏腹の強引さで夕姫を連れて会議室を後にした。
そんな二人を見送ってから、臣は憮然とした表情で、
「都妃ちゃんに貸し作って、あとで酷い目にあっても知らないぞおれは」
「仕方が無いだろう。都妃和ならうまくやるさ。そもそもお前が上手く誤摩化せれば済んだ話だろうが」
「……正論だけにむっかつく……」
ぶつぶつとぼやきながら、臣は鞄の中から取り出したピルケースから、いくつかの錠剤を口に放り込み、ペットボトルの水で飲み下す。
内容は軽い抗鬱剤のようなもので、ほとんど習慣のように仕事の後飲んでいるものだが、夕姫の前で口にした事は一度もない。
「今日は榊の元には行かなくていいのか」
「大丈夫だろ。もう少しで定期検査もあるしな」
「……そう言えばそうだ……」
突然嫌そうな表情を浮かべた帝に、臣も苦笑する。定期検査とは<ESS/エス>達に義務づけられている言葉通りの定期的な検診だが、その内容は人によって違う。
臣は精神的な面の検査が主だが、帝は主に力の制御に関する検査だ。“鬼”に対抗する強い力を持つ帝は、それ故に感情のタガが外れるとその力を暴走させてしまう事がある。
普段の無感情、無表情が、何も元々からの性格ではなく、“鬼”に対抗する力を持ったが故の代償だと、臣は聞かされていた。
と、不意に扉をノックする音が聞こえる。思わず顔を見合わせお互いに心当たりが無い事がわかると、帝は立ち上がって扉を開ける。
そこには———
「やあ、久しぶりだね。臣は今日もお仕事ご苦労様」
「社長……?こんな時間までここにいるなんて、珍しいですね」
入って来たのは、ここ<ESS/エス>本部と言われている団体の長、通称社長と呼ばれている、帝と夕姫の後見人の男だった。
一目見て高価なものと解る仕立てのいいスーツに身を包んだ、50代の男性。白髪の混じる髪はきっちりと整髪料で撫で付けられ、がっしりした体つきとは裏腹に、柔和な笑みを浮かべている。
社長は、臣の言葉に頷いて、少し困った表情を浮かべ、二人に座るように促し自らもソファに腰を下ろした。
「まあ、ね。少々問題が起きたんで、それの処理をしていたら遅くなってしまった」
「———また、誰かが暴走でもしたのか?」
無表情で問いかける帝に、社長はふう とため息をつき、
「こういう時だけ鋭いね帝は。最近<ESS/エス>になったばかりの子だったんだが、どうにも精神的に脆いようだ。あれでは、戦いに行かせるのは酷と言うものだな。
 ところで、累から報告を受けたが———現場に、夕姫を連れて行ったそうだね、帝」
突然話を変えた社長の顔は———笑ってはいない。若干灰がかった瞳で真っすぐに見つめられ、常人ならたじろぐであろうその視線を、だが帝は真っすぐに受け、
「夕姫がそれを望み、俺もそうあるべきだと思った」
「……夕姫が、“鬼”に狙われやすい体質だと解っていて、連れて行ったんだね?」
「———って、なんだそれ、帝。初耳だぞそんなこと」
驚いて思わず声をあげる臣に、帝は無表情で「言っていないからな」と返す。
思わず言い返しそうになった臣を制したのは、社長だった。
「夕姫に限らず、<ESS/エス>の家族は“鬼”に目を付けられやすい。数々の“鬼”が狙った痕跡は残り、次の“鬼”に、こいつはいい獲物だと知らせる。夕姫が望む望まないに関わらず、帝と血縁であるが故に、彼女は“鬼”の標的となる」
「そんな、こと———」
「夕姫もその事は知っている。臣、君だって知っているだろう?」
「———っ」
ずきり とみぞおちが痛む。社長の言っている意味を、事柄を理解し、思わず唇を噛む。
そんな臣の様子を一瞥し、帝は珍しく不快を露にした表情で、
「何が言いたい。夕姫を“鬼”に関わらせるなと言いに来たのか」
「まったく、仮にも後見人にこの口の聞き方……。いや、誤解しているようだが、私は止めにきたのではない。今回のような事は、むしろ大いに歓迎だよ」
「……社長、すいません頭の悪いおれたちにも解るように説明してもらえますか?」
疲れ切ったように問いかける臣に、社長は元の柔和な笑みを浮かべ、
「私は“鬼”の事実は、世間には隠すものだという信念を変えたつもりはない。だが、関係者であるならば、むしろその事実をきっちりと知る事が重要だと考えている」
「……俺が夕姫を連れて行った理由が、それと同じくする物かどうかを、確かめに来たのか?」
「そうだね。だが聞くまでもなかったようだ。君が夕姫を危険な目に遭わせることを良しとしない重々承知だ」
にっこり笑って、社長は静かにソファから腰を上げる。そして、
「まあ、私が言いたいのはただ一つ。夕姫に事実を知らせる事は大いに賛成だ。だが、それによって君たちの身に危険が及ぶ事だけは避けてほしい。帝、臣に持たせている君のお得意のもの、夕姫にも持たせておくといい」
「———わかった」
「あと、家政婦のものが夕飯を作っておいてくれているそうだよ。二人分で片方は野菜のみ。早く帰って食べるといい」
「……お気遣いどうもありがとうございます」
憮然とする二人を残して、社長は来た時の笑みのまま、部屋を出て行った。
ばたん と締まったドアを二人でぼんやり見つめたまま同時にため息をつき———
「……帰るか」
「……そうするとしよう」
二人で諦めたように頷き、帰路についた。











ランプとテーブルのキャンドルで照らされた隠れ家的な店内は、その暖かい光のおかげか落ち着く空間となっている。
客も落ち着いた大人達が多く、高校生の自分がこんな所にいる事が酷く場違いに思えた。
そんな中、夕姫にあわせてか、ワインではなくジュースを飲む都妃和はとてもこの場に似つかわしい雰囲気を持っていた。
「累のお店のセンスはいつも感心しますわ。とても素敵なところですもの」
「うん、素敵なお店。でもあたしにはちょっと敷居が高いかも……」
「あら、いいんですよ。素敵なお店に年齢なんて関係ありません。わたしだって、夕姫と三つしか変わりませんもの」
にっこり笑う都妃和の表情が驚く程奇麗で、同性だというのに思わず見蕩れてしまい、慌てて夕姫は首を振った。
そして、逡巡した後、恐る恐る問いかけた。
「都妃和は、その———」
「夕姫が、臣の事が好きだって事は、知ってますわよ?」
「へぁっ……!?」
思わず素っ頓狂な声を上げ、周囲の視線にあわてて縮こまる夕姫に、都妃和は頬杖をついた姿勢のままにっこりと笑い、
「そんなに驚かなくても……長い付き合いじゃないですか」
「え、じゃあもしかして臣やお兄ちゃんも……?」
「まさか、あの朴念仁たちが気づいているわけないですわ。人一倍そういう事にはうといですもの」
「よかった……」
あからさまにほっとした表情を見せる夕姫に、都妃和はそっと目を伏せる。
夕姫に、臣はやめておけと言いたいのも、帝の付き合いが長く、夕姫の事を実の妹のように思う都妃和だからこその思いだった。
後天的に“鬼”が見えるようになった自分には、<ESS/エス>と一般人の見ている世界がどれだけ違うかがわかっている。
その違いは、理解で埋めるには深すぎるが故に、通常<ESS/エス>達は見えない人たちに決して理解を求めない。
「……でも、そうやって理解しようとしてくれる人がいないと、わたし達はどんどん普通というものから離れていってしまうのよね……」
「え……?」
「ああ、ごめんなさい、つい」
思案していたつもりがいつの間にか独り言のように口から飛び出していたようで、一口水を飲んでから都妃和は話を繋げた。
「さっきの話だけど……実はわたしも、臣の過去はそれほど知らないの」
「……野菜しか食べない、話?」
「ええ。ただ……わたしと帝が始めて臣と会ったとき、彼は今とはまるで別人でしたわ」
そう言って思い出すのは、三年前、初めて社長に付き添われた臣を見たとき、都妃和と帝の見解は一致していた。
この少年は、<ESS/エス>としては使い物にならない、と———
「……三年前、ってことは、臣が<ESS/エス>になってすぐ……?」
「そうですね。なぜそうなったか、わたしは聞かされていないけど……とても、話しかけられる状態じゃなかったんです。今の人懐っこさから考えると、別人のようでしたわ」
「後天的に<ESS/エス>を覚醒する時は、必ず何か辛い目に遭う……」
「ええ。だから、きっと臣にも何かが起こって、その結果一時期外界を遮断してしまうくらい、辛い思いをしたんだと思うわ」
そう言って悲しげに笑う都妃和もまた、後天的能力者である。
彼女の身に起こったことは、この中では帝だけが知っている。だがそれはその場に帝が居合わせたが故の事であり、必要がなければ誰にも伝えるつもりはなかった。
「……お兄ちゃんは、知ってるのかな」
「知っていると思うわ。でないと、臣の細かい変化を見逃してしまうから」
「そっか……なら、よかった」
そう言ってにっこり笑った夕姫に、都妃和は少し驚いた表情で夕姫を見る。そんな表情に気づいたのか、夕姫は照れくさそうに笑って、
「なんていうか、お兄ちゃんがちゃんと見ててくれるなら大丈夫かなって。わたしが知らなくても、一人で抱え込んじゃったりしないだろうし」
「……そうですか。夕姫は、強いですね……」
「そんなことない、都妃ちゃんも、お兄ちゃんも臣もずっと強くて……」
そう言いながら、夕姫はぎゅっ と胸の前で両手を握りしめる。そして、数度のためらいの後、小さな声で、
「でも……あたしにはとっても、危うく見えて……。何の前触れも無く壊れてしまう気がして……。あはは、こんなの杞憂だってわかってるんだけど、どうしても……」
小さく震えるその手に、都妃和は無言でそっと自分の手の平を重ねた。
白く細い繊手には、それに似つかわしくない弓で出来た胼胝があり、彼女もまた幼い頃よりずっと、弓を引き続けてきた現実があった。
「……夕姫、あなたのその不安は、決して杞憂などではありません。むしろ、そうやって見ていてください、わたしたちを」
「……え?」
「わたしたちは“鬼”に近く。それ故に常に影を見続けています。だからこそ、自分でも気づかないうちに、その影に足を踏み入れすぎているかもしれません」
きゅ と唇を引き結び、無表情で言葉を続ける都妃和に、夕姫は思わず重ねられた手を握り返す。
「———もし、わたしたちが“鬼”と近しい気配を持つ事があれば、必ず引き戻して下さい。ひっぱたいても、蹴り上げてもかまいません。必ず、引き戻して下さい」
「———大丈夫。あたし、何度も見て来たから……。お兄ちゃんを、何度も縋り付いて引き戻して来たから……。都妃和も臣も、ずっとそばに居て、必ず引き戻すよ」
見えもせず、感じる事すら出来ないからこそ、夕姫は“鬼”に怯えない。強い瞳で頷いた夕姫に、都妃和は何処かほっとした笑みを浮かべた。




そして、思う。
<ESS/エス>達はきっと、こうやって見捨てずに理解しようと努めてくれる人がいるからこそ、人の世界で“鬼”を相手に戦っていられるのだと。
その人たちを守りたいと思うからこそ、この黒いものが徘徊する世界を守りたいと思うのだと。







でなければきっと、
自分たちはとうの昔に、

“人”が嫌いに、なっているのだろうと。


<END>

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