NAMELESS

novel:夕日影

第五話 夕日堂に眠る者達

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01


からりと晴れた、気持ちのいい平日の昼下がり。主婦かお年寄り以外の人通りもまばらな駅前の商店街を眺めながら、臣はぼんやりと本の整理をしていた。
学校が終わる時間もまだなため、現在店内にはアルバイトの臣と店長のみ。あと一時間ほどで暇と物欲を持て余した学生アルバイトとシフト交代となるのだが、それまではひたすら黙々と本の整理をする事となる。
売れた本を倉庫から補充し、並び順が乱れている物があれば整える。特に何の思考も必要もない作業のせいか、どうしても眠気が押し寄せる。
「臣くん」
手に取った本の作者名はあ行。自分が今いる棚はら行。遠いから後回しとし、後回しの山に積み上げる。
「……おみくーん」
売り切れた巻数に関しては注文をかけるためにノートにメモ。ちゃんと在庫管理をするシステムを導入している書店ならこんなことを手作業でする必要もないのだが、如何せん未だに手打ちのこの書店は、補充も何もかも全てバイト任せで、よく問題が起きないものだと思う。
「……お給金、いらない?」
「えっ———?」
不意に聞こえてきた聞き捨てならない言葉に振り向くと、そこには店長が立っていた。
「あれ、何ですか店長」
「何ですかって……そんなに没頭するほど仕事しててくれてありがとうって言うべきかな僕は……」
ぶつぶつと呟きながらも、店長はシフト表となっているノートを片手に、
「明日入ってたシフトだけどさ、さっき社長さんから連絡があって、あけてくれって頼まれたからシフトなしにしておいたよ」
「え、社長から直接……?珍しいですね、そんな事……」
この書店の店長は、社長と古いなじみのようで、<ESS/エス>の仕事内容を知っている。そのため、そちらの仕事が入った場合シフトの都合をつけてくれるのだが……臣にではなく直接店に連絡が行くことなど珍しい。
「すいません、いつもいつも」
「いやいや。で、今日はもう上がりだろうから、店内はいいから裏の片付けだけお願いしていいかな、他の子に任せると、酷いことになるからさ」
「あー、そうですね……」
裏、とは在庫を保管してある倉庫の事で、バイトの中で一番勤続年数が長い臣が一番その配置を心得ているため、必然的にここの整理は彼の専売特許となっている。
「終わったらそのまま帰っていいから、お疲れ様」
「はい、お疲れ様です」
そう挨拶を交わし、臣はそのまま倉庫へ向かった。








バイトが終わり、店から出た瞬間———目に入った光景に、臣は文字通り固まった。
急行電車も止まらない、しがない駅前の商店街にある書店に、おもむろに高級外車が横付けされれば必然的に人々の注目を浴びるものである。
しかもその車から出てきたのが———大学生くらいにしか見えない若者であれば、なおさらだ。
運転席から降り立ったのは、珍しく眼鏡をかけた帝だった。相変わらずの無表情で、目の前に立つ標識を視線で指し、
「臣、いいから早く乗れ。ここは駐車禁止だ」
「———いや、意味わかんねんだけど」
「時には柔軟に対処するのが男ですよ」
「……都妃ちゃん、それは何か違うような……」
「おっみー、捕まったら社長さんに罰金の催促が行っちゃうから、はやくー!」
黒塗りの高級車の窓から口々に叫ぶ見知った人間に、臣は思わず眩暈を感じつつ……なんとなく状況が読めてきている自分が悲しかった。
とりあえずこのままこの車をしがない書店の前に横付けさせていては、次の日には商店街中に「あそこの書店に暴力団がカチ込んでたわよ」などという根も葉もない噂が流れかねないため、諦めて車に乗り込む。
後部座席に座るのは夕姫と都妃和。助手席に乗り込んだ自分と、運転席には何故か帝。
「……どういう事か説明してくれる人ー」
「これから旅行だ」
「……は?いやおれ何も持ってないけど、服とか」
「安心してください。持ってきましたわ」
「……いや、安心ていうか、持ってきたって……」
「開けやすい鍵だったぞ。最新のものに交換したほうがよくないか?」
「うっさいこの犯罪者!何勝手に人んちの鍵ピッキングしてんだよ!」
隣でしれっ と言う帝に思わず叫びつつ、バイト終わりにそのまま拉致られた臣は、慣れのせいか状況が読めてきていた。
「……つまり、これから社長に借りた物騒な高級車でこの面子で旅行に行く、と……?」
「そう!だから臣の明日のバイトはお休みなの!」
「って、まさか社長からの電話って、これのため!?」
信じられない、という面持ちで問いかけると、エンジンをかけアクセルを踏み込んだ帝は、何をそんなに驚くのかわからない、といった表情で、
「社長の提案だからな。実は今日明日と俺達が住んでいる離れで工事があってな」
「……それ、おれとか都妃ちゃんまるで関係なくね?」
「丁度いいから旅行にでも行って来いと、今朝決まった次第だ」
全く人の話を聞いていない帝の言葉に———臣の頭痛が気のせいではなくなったのは、言うまでも、ない。








首都圏から二時間ほど車で走ると、社長が所有しているという別荘に到着する。純和風の平屋である本宅とは違い、チューダー様式の立派な洋館に、改めてあの社長は一体何者なのかと考えたくもなる。
帝は意外と慣れた手つきで黒塗りの外車を車庫に入れ、エンジンを切る。それぞれが自分の荷物を手にし———臣だけは、家に無断侵入されて持ち出された荷物を手にし———玄関に向かうと、そこにはきっちりとスーツを着た一人の初老の男性が立って居た。
「遠い所をお疲れさまでございます」
きっちりした角度でお辞儀をし、慣れた手つきで四人を建物内に招き入れる。どうやら面識がないのは臣だけのようで、他の三人は老人と顔見知りのようだ。
中も嫌味でない程度に豪華な造りとなっており、広く取られた窓から差し込む光がレースカーテンによって淡く押さえられ、ホワイトとグリーン、ベージュで統一された家具が、豪華さを表に出さず、どこか安心出来る空間を造り出していた。華美な装飾を好まない、センスのいい配置である。
慣れた足取りで荷物台の上にバッグを起き、夕姫は申し訳なさそうに老人に頭を下げ、
「巽(タツミ)さん、突然無理言ってしまってごめんなさい」
「いえ、社長のご一存でしょうから。それに、そろそろこの別荘も人が入らないと、拗ねてしまいますしね」
と、玄関でぽかんと立ち尽くして居た臣に気づいたのか、荷物を置いた帝が歩み寄り、老人———巽に声をかける。
「———巽、紹介が遅れたが、こいつが臣だ。こっちは、社長の別荘を管理している巽だ」
「ご挨拶が遅れまして失礼いたしました、臣さま」
「あ、いえこちらこそ……」
「帝さまと仕事をなさっておられると聞いております。不肖の孫が何か失礼をしていなければいいのですが……」
「……孫?」
「巽は神代の祖父にあたる」
「へえ……———はあっ!?」
思わず納得しかけ、語尾が跳ね上がる。帝と臣のサポーターである暴虐無人を地で行く男神代の祖父が、この物腰柔らかな老人……?
「やはり……皆様最初はそのような御反応ですので、神代はよほど……」
「まあ、あいつがどうしょうもないのは今に始まった話じゃない。それより臣、荷物を運ぶのを手伝え、まさか老人に運ばせるつもりか?」
「まさか……。いやでも神代も人の子だったんだなと今一生懸命納得してるからちょっと待ってくれ」
「気持ちは解るが現実だ。———巽、夕食の支度なら都妃和を使ってくれ」
「……その当たり前のように人を使う精神を少しでも改める気があるのでしたら、あなたの分の夕食まで作ってもかまいませんよ、帝」
半眼で呟く都妃和を意に介さず、荷物を持ってさっさと階段を上がり始める帝に、臣は慌てて残りの荷物を手に広い階段を上がって二階へ向かった。
やけに重い都妃和と夕姫の荷物を苦労して運びながら、二階から吹き抜けになっている階下を見下ろして臣は感嘆のため息をつく。
「……今更だけど、社長ってほんと何処から金が転がり込んでるんだ……?」
「元々財閥のお家柄だそうだ。この別荘も先代が建てたと聞いている」
「何度か来た事ありそうだよな、お前ら」
「俺と夕姫は幼い頃よく来ていて、途中から都妃和もそれに加わっている。お前なら気づいているだろうが、この周辺はあまり人が住んでいないから、“鬼”が少ない。俺達でもある程度快適に過ごせるというわけだ」
「———なるほど、ね」
それは、帝に言われる前から気づいて居た。<ESS/エス>が三人も集まっているのに、この場所には驚く程“鬼”の気配がない。
「てっきり結界のおかげかと思ってたけど、土地柄もあるのか……」
「ここには本宅と同じ結界があるから、随分楽だろう。俺達には、“鬼”の気配を感じない場所というのは貴重だからな」
帝の言葉に、無言で頷く。<ESS/エス>の住む家には大なり小なり結界を張り、“鬼”から気配を隠すようにするのだが、全てを消し去る事は通常出来ない。得に、社長宅のように最初からその目的もあって作られた家であればかなりの効果が望めるが、臣のような賃貸アパートには出来る事も限られている。
二階には四部屋の客間が作られており、その中心に小さいながらリビングスペースと山に面したテラスが作られている。
客間を掃除するのが大変だという理由で二人部屋となり、部屋の中に荷物をそれぞれ運び込んで窓を開ける。
「———なんだ、あれ?教会……?」
開け放った窓から、山の中に建つ小さな教会のようなものが見える。この裏の山一体が社長の私有地だと聞いているから、恐らくあれも社長の所有する建物なのだろうが……
「———あれは、夕日堂だ」
いつの間にか背後に来て居た帝が、ぽつりと言う。その言葉に聞き覚えがなく無言で問いかけると、帝は少しだけ目を細めてその教会を見遣り、
「教会ではなく、小さな洋館だ。得に宗教的な意味合いはなく、俺達の中では夕日堂と呼ばれている。———あそこは、“鬼”に憑かれ命を落とした<ESS/エス>達が、眠っている」
「……!」
帝の言葉に、思わず再度建物を見つめる。麓からは見えず、図ってかこの別荘の二階からのみ辛うじて見える、その建物に。
“鬼”に打ち勝つ事が出来なかった<ESS/エス>達が、眠る……
「……<ESS/エス>の多くは、弔ってくれる家族や親類がいない。だからこそ、命を落とした<ESS/エス>達を、社長は全てあそこで供養している」
「死してなお、“鬼”に苦しめられる事がないように、この場所で……?」
「ああ。巽は、この別荘と、夕日堂の管理をしている」
「……そっか。こんな静かな所なら、いいかもな」
「……一度行ってみるか?車で行けばそうかからない」
帝の言葉に返事を逡巡していると、不意に階下から呼び声が聞こえた。
窓を閉めて廊下に出ると、吹き抜けになっている階下で、両手でメガホンを作って叫ぶ夕姫がいた。
「お兄ちゃん、臣、わたしと都妃ちゃんは巽さんと夕飯の買い物に出るけど、二人はどうするー?」
思わずを顔を見合わせ、得に意思疎通をしたつもりもないのだが、帝はひらひらと手を振り、
「俺達は此処に残る。お前達で行って来い」
「帝さま、ではお二人を少しお借りいたします。なにぶん、わたくしでは皆様の好みもわかりませんので」
「ああ。———巽、堂に行って来る、鍵はいつもの所か?」
帝の言葉に、一瞬目を丸くした巽は、だがすぐにいつもの柔和な笑みを浮かべ、
「ええ。折角ですから、庭の花を持って行って下さい。今日はまだわたくしも行っておりませんので」
「わかった」
そう答えた帝に、何事か解らなかった夕姫は小首をかしげながらも、巽と一緒に外に出て行った。残った都妃和は、『堂』という言葉を意味を察したのか、二人を見上げて、
「わたくしの分まで、挨拶をお願い出来ますか?久しく訪ねていませんから」
「ああ」
帝の返事ににっこりと笑みを浮かべ、都妃和もまた二人を後を追って玄関から姿を消した。
突然人がいなくなり、しん と静まり返った洋館に、臣はなんとなく居心地の悪さを覚えて、帝を置いて先に階段を下り始める。
「———臣」
「行くんだろ、夕日堂。花を摘んで来るよ、どうせお前がやると同じものばかり摘みかねないしな」
「問題があるのか」
「あるだろ。どうせ持って行くなら、彩りがいいほうがいいだろ?」
「……そういうものか」
何故か芸術的なセンスを全く理解出来ない帝に今更どう抗議する気もなく、臣は庭へ向かう。
よく手入れされた庭には季節の花で溢れている。まだ母が生きていた頃、ファッションデザインの一貫でよく花を購入して来ていた。玄関に飾られる花はいつも違う色・形で、幼心に日々楽しみにしていた覚えがある。
いくつか見繕った花で簡単な花束を作り、それを手に二人は車に乗り込んで、夕日堂へと向かった。
















夕日堂。その名の通り、切り立った崖にあるこの建物からは、遮るもののない夕日が見る事が出来る。
闇に落ちるその瞬間は<ESS/エス>達にとって合図であり、“鬼”達の活動開始となる、夕日。
まだ日が傾くまでは一時間ほどあるため、ともかく中に入るために帝はやけに重厚な錠前に、これまた古びた鍵を差し込む。
鍵の数は合計3個。随分と厳重だなとも思わなくもないが、ここをむやみやたらに荒らされたくないという社長の思いなのかもしれない。
最後の鍵が外れ、重い鉄の扉が開く。中は教会のようにステンドグラスが天井近くに設置され、柔らかい光が室内を照らしている。だがその装飾や飾られた絵には一切の宗教的な物は含まれず、あくまでここは教会ではない事を示していた。
中はがらんどうとした空間になっており、一番奥には祭壇らしきものが見える。
そして……その祭壇を囲むように、いくつもの木の棒が、立っていた。
「あれが、墓だ」
「……随分、簡素なんだな」
「まあ、自分の死後を飾り立てて欲しい人間はそういなかったんだろうな。近くで見てみろ」
そう言われ、臣は祭壇の近くに歩を進めた。
近づいて気づくのは、その木の棒は一つ一つ丁寧な彫り込みがされており、花であったり、動物であったり、様々なモチーフのものが溢れていた。
そして、その彫り込みの中に小さく彫られているのは……恐らく、ここで眠る人物の名前。
「……これ、凄いな。全部違う模様が彫られてる……?」
「社長の知り合いの彫り師に、故人をイメージして仲間が依頼すると聞いている。位牌の代わりのようなものだな」
<ESS/エス>の多くは、臣や帝のように家族を失っている、または二度と会えない事が多い。そのため仲間意識がとても強く、誰かが亡くなれば、例え顔見知りでなくとも皆で弔う。
そこまで考えて……ふと、臣は見知った名前が彫り込まれた繊細な花の模様の木の棒が目に入る。そこに彫られた名前は、そう世の中に多くある名前ではなかった。
「神代……唯。これ、もしかして……」
「神代の姉の名前だ」
そう言って、帝は無感動な瞳のまま無数の墓を見遣る。彼らの知るサポーターの神代は<ESS/エス>ではない。だが、こんな仕事をしている以上何かしら関わりがあるとは踏んで居たが、まさか身内に<ESS/エス>の人間がいたとは思わなかった。
「とても奇麗な女性だった。彼女も俺と同じ先天的能力者で、幼い頃俺に制御方法を教えてくれた一人だ」
「———亡くなったのは?」
「もう10年近く前になるな。“鬼”に心を持って行かれてしまった」
淡々と語る帝の顔に表情はない。凍り付いたような無表情は、先天的能力者だったが故に彼が失って来たものを示して居た。
些細な事で心を動かされていては、“鬼”と共存して行く事はできない。そうして何も感じない事を徹底するうちに、やがて感情は閉ざされ、表情は消える。
臣や都妃和は、“鬼”などと言うものを見ずに育った過去がある、だが帝にはそれがないのだから。
「……悪い、思い出させた」
「別に。流石の俺も、その時は悲しかった事を覚えている。……姉のように、慕っていたからな」
僅かに自嘲気味を笑みを浮かべたのは、感情を現せない自分を知っているが故の事か。
臣はその様子に、ふう と息を吐いて、
「言った事あるっけ、おれにも姉ちゃんがいてさ」
「……資料での家族構成のみなら記憶している」
「……あーそうか、お前おれの過去全部聞かされてるんだっけ、監視用に」
「平たく言えばそうだ。だがお前の口から姉の事を聞くのは初めてだな」
そう言われ、確かに自分から家族の話をする事はあまりないと気づく。あれから四年が経つからこそ、こうして話題に出せるのかもしれない。
「両親がずっと仕事で海外とか行きまくりでさ、歳離れてたからすげえおれ、お姉ちゃんっ子だったんだ」
「……まあ、弟属性がにじみ出ているな、お前は」
「うるさいな」
思わず毒づき、得に話題が続かずに臣は持っていた花束をそっと祭壇の前に置く。
そして無意識に、両手をだらりと横に下ろしたまま静かに目を閉じた。
手を合わせるのも、十字を切るのもここでは場違いな気がして、ただ自然体のまま、祈る。
自分も死んだら、きっとここに来るのだろう。自分を弔ってくれる家族は、もういないのだから。
「……ああでもそしたら、家族の墓誰が掃除すんだ……?」
「祈りながら何を言っている」
「……ああいや、おれが死んだらまずいなって思い直した所」
「……どんな思考の結果そうなったか知らんが、墓の掃除で思い直す事かそれは」
珍しくマトモな事を突っ込んで来る帝を無視して、臣はそのまま祭壇の前から離れ、重い扉を開けて外に出る。すると、外は既に日が傾き、夕日が辺りを照らしていた。
眩しいくらいの夕日に目を細めると、あとから出て来た帝がそのまま玄関を施錠し始める。最後の鍵を閉め終わり、そのまま車の鍵を開ける。
「帰るぞ。日が落ちたらこの辺りは真っ暗になるからな」
「……ああ」
夕日を見つめながら返事を返す。どうも違和感があると思って居た原因に、思い当たる。日が落ちようとしているのに、“鬼”達の気配を感じない。日が沈むと共に、望まなくても感じるぞわぞわとした感触を、全くと言っていい程感じないのだ。
「なんか、おれ久しぶりに純粋に夕日が奇麗だと思ったような気がする……」
「……そのままの意味を込めて、ここは夕日堂という名前がつけられている。夜を忌む<ESS/エス>達がせめてここでは安らかに夜を迎えられるようにと」
そう言いながら、早く乗れと帝に促され、臣は名残惜しそうに夕日を見つめながら車に乗り込んだ。
日が傾いた事により急速に暗くなって行く山道を走りながら……じっと、沈みゆく夕日を見つめていた。










都妃和と巽の力作である夕食が終わり、巽は、何か御用がありましたらお呼びくださいと自らに宛てがわれている部屋に戻っているため、四人はめいめい好きな様子で寛いでいた。
この別荘にはテレビがないため、社長の趣味なのかは不明だが、なぜか大量に揃えられていたクラシックCDを邪魔にならない音量で流している。
普段聞く事がないその音程に、臣は思わず眠気を誘われていると……不意に、ひやりとした感覚が頬に当たり、慌てて目を開ける。
両手にガラスのコップを持って目の前に立つのは、夕姫だ。
「はい、お茶」
「あ、ごめん、ありがと」
普段寝ている自分の家のベッドより何倍もふかふかなソファに沈み込んでいた体を無理矢理起こして、コップを受け取る。
同じくお茶の入ったコップを片手に臣の隣に腰掛けた夕姫は、コップを両手で持ち直してからこちらを向き、
「眠いの?もう休む?」
「や、大丈夫だよ。……あれ?都妃和と帝は……?」
うとうとするまで確かにその辺りにいたはずの二人だったが、広いリビングには臣と夕姫の姿しかなかった。
「お兄ちゃんがふらっと出て行って、都妃ちゃんは追いかけてったよ」
「……つかぬ事を聞くんだけどさ、都妃ちゃんってもしかしてあの朴念仁の事を……?」
「あっはははそんなまっさかぁー!」
「だ、だよね……」
(あたしに気を使って外してくれたなんて言えるわけないじゃないこの朴念仁!)
などと心の中で夕姫が乙女の悲鳴を上げている事等つゆ知らず、臣はお茶を一口飲んでまだ重いまぶたをこすった。
此処の所、バイトと“鬼”退治の仕事が立て込んでいたせいか、自分でも知らない間にどうやら疲れているらしい。
「……なんか、こんなに落ち着けるのって久しぶりかも」
思わず声に出していたつぶやきに、夕姫は少し迷ったような表情を浮かべてから、
「やっぱり、ここって“鬼”の気配しないの?」
「うん。びっくりするぐらい。こんな場所あったんだな……おれ田舎に引っ越そうかな、マジで」
「お兄ちゃんもいつだったか言ってた。都会なんかに住むから、辛いんだって」
「……帝が、辛いなんて口に出す事あるのか……?」
思わず真顔で問いかけると、夕姫はぷっ と吹き出して笑い、持っていたコップをテーブルに置いた。
さらさらと流れる色素が薄めの髪を何の気無しに眺めていると、夕姫はソファに両手をついて、何も無い天井を見上げて言った。
「お兄ちゃんあんなだから、何にも感じてないように見えるけど……ちゃんと、あたしの前では弱音を吐いてくれる時があるんだよ。今の所、妹だけの特権だけど……ね」
そう言って少し寂しげに、だが誇らしげに笑う夕姫に、臣もつられて笑みを浮かべた。
本当に、強い兄妹だといつも思う。兄が感じている人知のおよばぬ世界を、妹は必死に感じ取ろうとしている。
「……おれはさ、夕姫が“鬼”なんか見える人間じゃなくてよかったって、いつも思うんだ」
「え……どうして?」
きょとん とする夕姫に苦笑して、臣はコップのお茶を飲み干す。
開けられた窓から夜風が入り、少し肌寒い。冷えるよ、と夕姫にソファにあったブランケットを渡して、そのままそよぐ森風に揺れる前髪に、目を閉じる。
「もし夕姫が“鬼”を見る事が出来たとしたら……きっと君たち兄妹は、とっくの昔に自滅してると思う。“鬼”を見る者同士は同じ痛みを分かち合えるけど、堕ちて行く所も同じだから、誰か引き上げてくれる存在がいないと、共に堕ちて行くだけになってしまうから」
「……臣は、お兄ちゃんと同じ痛みを分かち合える?」
「それは無理。おれは後天的能力者で、帝は先天的能力者だ。この差は、とてつもなく大きい。何せおれは、幸いな事に普通の人間でいられた期間があるんだから」
そう言ってから、臣ははっと目を開けて夕姫を見る。つい本音をそのまま話してしまったが、今の言い方では、<ESS/エス>は普通の人間ではないと断言しているようなものだ。
身内を人間外呼ばわりされて気分のいい人間などいないだろうと咄嗟に謝ろうとして、夕姫の驚いた表情に臣は言葉を無くした。
「……驚いた、お兄ちゃんは、全く逆の事を言っていたわ」
「……え?」
「臣や都妃ちゃんのほうが、辛いって。普通でいられた経験があるからこそ、今の異常がとてつもなく苦しく感じるんだろうって」
「———帝が、そんな事を?」
半ば呆然とした面持ちで、問いかける。臣や都妃和の前でそんな話をした事など一度たりともなかったというのに———
先天的能力者と後天的能力者は、同じ“鬼”を見る者達ではあるがその精神構造は全く異なっている。
脆く壊れやすいが、社会に適合しやすい後天的能力者と、鋼の精神を持ち少しの事では倒れないが何処かにその感情を置き忘れてきてしまった先天的能力者。
臣とてきっと、周囲の献身的なサポートがなければ、今でもきっと白い病室の中で虚空を眺めてただ息をしているだけの人形のままだったであろう。
「……でもね、あたしお兄ちゃんの事はよく知ってるけど、臣のことはあんまり知らないのよ」
「———え?」
「お兄ちゃんは、書類で読んで、臣の生い立ちから力に目覚めるまで全てを知ってるって言ってた。あたしと会うよりずっと前の臣の事を知ってるって。でも、あたしには何も教えてはくれなかったの。知りたければ、臣から直接聞けって」
「……まあ、面白い話じゃあ、ないからね……」
そう言って笑みを浮かべた自分の顔は、さぞかし嘘くさい笑顔を浮かべているであろう自覚を、臣はしていた。
だが、過去の事を話すには、自分自身の傷がまだ塞がってはいない。数年で乗り越えられる出来事であるならば、そもそもこんな能力を有する事にはならなかったのだから。
ごめんね と小さく謝ってソファから立ち上がり、周囲を見回す。相変わらず人の気配がなく、帝と都妃和が戻る気配もない。
にやり と我ながら意地の悪い笑みを浮かべて、臣はきょとんとした表情でソファに座る夕姫の手をとって立ち上がらせてから、
「じゃ、帝と都妃ちゃん、探しに行こう」
「え———?」
「まかり間違ってちょっと面白い事にでもなってたらちょっと楽しそうじゃね?」
「ぷっ……臣、顔がワルよ!」
臣の言葉に吹き出した夕姫は強く頷き、二人は物音をたてないように静かに、二人を捜すためにリビングルームを後にした。

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